リンクビーは発達障害のある方のための就労支援サービスです

リンクビーブログ「学ぶ人たち」

リンクビーブログ「学ぶ人たち」

リンクビーに通う前は、人見知りで、人と話すことが苦手でした。仕事については、どうして自分は仕事ができないのだろうかと、クヨクヨ悩んでいる自分がいました。

 

病院のデイケアの紹介で、リンクビーを知りました。

見学から体験通所に進み、事業所の雰囲気が良かったこと、他の利用者さんが親切に声を掛けてくれたこと、自宅から通える範囲内だったことから、通所を決めました。

 

通所したての頃は、体調面も含めて、一生懸命に頑張ろうとし過ぎる傾向があり、無理をしていました。通所して4ヵ月目に、突然腹部に痛みが起こり、病気になり倒れてしまいました。手術をし、一週間で退院し、三週間後にリンクビーに復帰、半日×週三日の通所から始めて徐々に通所を増やし、フル通所に戻るまで4ヵ月かかりました。

 

この4ヵ月間、就職が遠のいたことで焦りもありましたが、無理をしてはいけないのだと学びました。ありのままの自分で、自分のペースで行こうと、思いました。

 

その後、リンクビーの職業トレーニングでは、グループワークのリーダーに立候補。病気で倒れる直前にもリーダー役をやっていたので、自分に負担がかからないように工夫をしながらリーダーをこなしました。無事にリーダーをやりとげ、高評価もいただき、以前の自分を乗り越えることができました。

 

就職活動は、企業実習に行ったのが4社、面接は10社前後受けました。病気の前は、就活も焦りながらやっていましたが、病気の後は、職員をつかまえての模擬面接など事前対策をしっかりと行うことで、焦らずに面接にも臨めるようになりました。

 

就職が決まった企業様は、一人一人に合わせた対応をしてくださるところに、惹かれました。実習前の面談の段階から、ここでお世話になりたいという気持がありました。無理をしないように、頑張って行きたいと思います。

 

自分の力の及ばないことは焦っても仕方がないので、自分は自分のできることに集中する、ということを、これからも忘れないようにしたいと思います。

 

私は病気で倒れたことで、120%ではなく80%の力で頑張ることを学びました。皆さんも、無理をせず、自分のペースで、体調に気をつけて頑張ってください。安定通所に始まり、安定通所に終わる、ということを私も実感しました。

 

大変お世話になりました。ありがとうございました。

 

リンクビー秋葉原 職員の森です。

本を読みました。『「べてるの家」から吹く風』向谷地生良著(2018年6月1日発行、いのちのことば社)です。2006年に発行された同書の、増補改訂版の発行です。

統合失調症を抱えた一人一人の登場人物が、そしてそこに向き合う著者の姿が、心に深く静かな衝撃を与えます。心に残った、いくつかの「言葉」がありました。

<人の絶望は、人間として尊重された出会いのなかでは、希望と回復への入り口となる>

絶望的な"爆発"を繰り返す当事者の父親から、「つかれ果てました」と著者に電話が入る。著者はこう答える――
<・・・・・・彼にとって本当に必要だったのは、"立ち直ること"や"回復"ではなく、悩み、絶望しきることなのです。・・・・・・彼は、着実に自分の絶望を自分のものにしつつあるのです。本当にいい苦労がはじまっています。・・・・・・彼に希望を感じましたよ>
<苦労を取り戻す>、これは「べてるの家」のキャッチフレーズのひとつだ。

わたしたちリンクビーではどうだろうか。一見すると社会に適合できている"優等生"のまま、卒業させてはいないだろうか。悩みや苦労を自分に取り戻し、しっかりと向き合い、絶望できること。それを可能とする"場所"であること。本人が絶望するほど希望を感じると、言える強さと優しさが、わたしたちにあるだろうか。

また、「べてるの家」では、1983年に始まった日高昆布の産地直送以来、「起業」に力を入れている。起業の際に忘れてはならないのが、「苦労の先取り」作業だと著者は書く。しかし、それは仔細なビジネスプランや事前対策という意味合いではなく、「それで順調!」という「楽観」だという。

<この楽観は、仲間と場を信じる態度から生まれる。しかし、信じるということで大切なのは、根拠や実感を求めないことである。いいかげんでよい。ヤケクソでもよい。「そんなの信じられない」というあいまいさと不安があるままでもよい。とにかく「信じるが勝ち」なのである>

自己病名「人間アレルギー症候群」の女性四人が起業した会社は、<自分たちの強みは、矛盾をかかえながら生きてきたこと>というメンバーの言葉から「むじゅん社」と命名された。

<当事者は、みじめな存在である前に、尊重されなければいけない有用な存在なのである。地域は、障害を体験した市民の経験を通じて、地域社会を変革していくことができる。その思いが、常に起業のエネルギーとなってさまざまな事業を起こすバネとなってきた>

<「べてるの家」の歩みは、地域の過疎化と精神障害という病をもつ困難という二重の苦労のなかに育てられてきたことに意味がある>

「べてるの家」から吹く風は、単に精神障害の一施設の物語ではなく、地域の在り方を問い、福祉や医療の世界の「たてまえ社会」を問い、人間の生き死にを問う、それでいて軽やかな笑いに包まれた、摩訶不思議な風なのであった。