リンクビーは発達障害のある方のための就労支援サービスです

リンクビーブログ「学ぶ人たち」

リンクビーブログ「学ぶ人たち」

私は昨年の5月上旬、リンクビー秋葉原に入所しました。

ですので、9ヶ月の道のりでした。

 

受けた企業は20社。最終面接まで行けたのは、そのうち3社。

決して平坦ではない就職活動でした。

 

最初私は支援者を目指します。しかし、職員との面談を重ねるうちに、私は人と喋りたいだけであって、人の話は聞かないという、決定的な事実を指摘されます。

 

そこで、職員と話し合い、支援者の道は、今までも繋がっていた自助グループや当事者研究を極める事にし、就職はお金で苦労していることから、以前の生活水準を取り戻すことを目指し、自分の持っているスキルであるCADオペレーターを目指す事にしました。

 

その中でも

A.建築土木以外の分野

B.建築土木の分野

 

――の優先順位で就職活動をすることにしました。

さらに、Aでは実習付きである事が、不安感を払拭できるために望ましいと思いました。

 

Bでは、以前の会社でのトラウマを思い出すこともあるので、Aの新たな分野で働くことが、精神衛生上いいかと思ったためです。

 

11月末にあっさり最終面接にこぎつけましたが落ちてしまい、12月からまた仕切り直しの就職活動でした。新たに活動すると2ヶ月半かかると職員からは言われていたので、2月内定を目標に動き出しました。

 

結果、

①ハローワーク

②ゼネラルパートナーズ

③東京しごと財団

 

という使える物は全て使うという総力戦で望みました。当然、使える職員も全て使うという事もやりました。

 

結果、履歴書の内容、面接スキルは見違えるほど上達し、先に進んだ企業も増え、自信もつきました。

 

最終的には①③の企業、しかも、CADオペレーターではなかなかない実習付きという、希望にかなう形を経験することができました。

 

リンクビーの最終日の挨拶でも言いましだが、私はリンクビーを信じられないところからスタートしました。

しかし、最終的には全利用者、全職員を信じています。

 

あとに続く人たちへ

 

就職活動とはつまらない物です。

そんな中で、いかに気持ちを持ち上げられるか、モチベーションを保てるかが成功の鍵かと思っています。

 

リンクビーは気持ちを持ち上げる企画であふれています。

私は自分の企画した土曜企画で、実習で沈んだ気持ちを持ち上げました。

職員、利用者、プログラム、何でも利用してください。

 

そして、自分らしさを見つけ出して下さい。

未来の幸ある姿を期待します。





このエントリーをはてなブックマークに追加

1.     通所することになった経緯

 

私は大学を卒業後、就職しましたが、人の話の聞き取りがなかなかできず、特に電話対応には苦戦しました。最終的にはミスに繋がり、ストレスとなってわずか2ヶ月で退職に至りました。その後、資格取得を目指したいと思い、医療系の専門学校に入学しました。ところが、実習や授業の中で、集中力が続かない・授業の話が聞き取れない・同じ事を何度も聞いてしまう・手先が不器用等から、とにかく過剰なミスや勘違いが頻繁に起きました。

 

当初は、うつ病など精神的な病を疑っていましたが、それだけではないと感じ、精神科を受診した結果、発達障害の診断を受けました。主治医からは、「資格取得や医療の道を目指すことは厳しい」と言われておりましたが、心の中では「悔しい」という気持ちが本音でした。そんな辛い中で、何とか専門学校は卒業・資格取得ができ、その後、主治医からの紹介で、リンクビーへの通所を決断しました。

 

 

2.     通所を始めてからの自分

 

最初は、プログラム内容を見た時、私自身の社会経験が非常に浅いということもあって、ついていけるのだろうか...といつも不安を募らせていました。そんな中、職員の方や他の利用者の方からのフィードバックがとても役立ちました。そのことから、「分らないことは、どんなことでも聞こう」と思うようになり、「些細なことでも報・連・相」を意識してプログラムに参加していました。

 

また、私がリンクビー秋葉原に入所したばかりの頃は、自信の無さが常にあり、学生時代の頃も含めて考えると、いつもマイナスの考え方をしてしまう癖がありました。そのことに気付かされたのは、職業トレーニングというプログラムで、グループワークを行った時のことでした。他者からの指摘や注意に対して、常に謝ってしまう癖や過剰な自責があり、その点を少しでも改善していきたいと考えるようになりました。

 

 

3.     就職活動開始~内定をいただくまで

 

就職活動を本格的に始めたのは、7月頃でした。プログラムの研修にも慣れてきて、コミュニケーションも比較的取れているとのことから、就職活動を開始しました。しかし、自分の障害特性や障害に対する配慮事項が自分の中ではっきりとまとまっておらず、最初はどのように面接で伝えれば良いかということに悩みました。

 

また現実問題、「社会経験の浅さ」や「事務職の経験値が劣る」ということが原因で、最終ゴールまで届かなかったこともありました。そのような中でも、atGP(アットジーピー)の担当の方との模擬面接やリンクビーの職員の方との面接練習がとても為になり、いただいたフィードバックを自分なりにまとめて記録していました。

 

面接を重ねるにつれて、先行きの見えない不安に向き合うようになりました。今思い返せば、これも良い訓練だったと感じています。残念な結果が続く中でも、企業様の方からとても良い評価をいただくケースが少しずつ増えてきました。私の中に、かすかな自信が芽生え、最終的には今回就職することになった企業様から内定をいただくことができました。

 

 

4.     終わりに

 

リンクビーでの生活は、私にとって、とても有意義でした。自分と同じ悩みを持つ仲間ができ、その中で自分の成長を実感できました。このリンクビーを自分の第二のふるさとだと思ってOBOG会にも顔を出したいと思います。

 

本当にありがとうございました。




このエントリーをはてなブックマークに追加

私は、このリンクビー秋葉原に来る前は、地元の就労継続支援B型施設にいました。

そこでは、作業に問題はないものの、体調の不安定が目立っていました。同施設に就労移行支援サービスはありましたが、プログラムの内容は軽薄で、自分の特性にあっているものではないと直感的に判断しました。どうすればいいのか悩んでいた時に、インターネット上で検索して見つけたのが、「就労移行支援事業所リンクビー」でした。発達障害専門の支援機関と書いてあり、藁をもすがる思いで飛びつきました。その後、体験通所を通じて「リンクビー秋葉原」への通所が決まりました。これでようやく自分の障害や特性に合った仕事を見つけることができると思っていました。

 

しかし、そこからが本当の地獄の始まりでした。

体調が安定せず、不眠や昼夜逆転に悩まされ、自暴自棄になりました。どんなに改善を試みても安定せず、通所やプログラムに参加することすらままならない状態でした。「何のために、ここを選んだのか」と本気で悔やみました。そんな時、職員の提案により、「リハビリ通所(17:0018:00)」という枠を設けてもらいました。この「リハビリ通所」を繰り返し行うことで、徐々に体調の安定や不眠・昼夜逆転を解消していき、プログラムに参加ができるまでに回復しました。

 

そしてプログラムを通して「自分らしさ」「ありのままの自分を出す」ことを学びました。

プログラムの内容は、自分の苦手分野が多くて、落ち込むことが多かったのですが、周囲に助けてもらい、徐々にその苦手を解消することができました。そんな日々の中で思ったのは、「自分は机に向かってやる仕事より、体を動かす仕事の方が向いている」ということでした。自分の周囲は皆、就職していくなかで、私だけが取り残されていき、気がつけば最年長になっていました。1年弱経った頃に、ようやく私も就職活動を始めて、12月半ばに内定をもらうことができました。本当に嬉しかったです。

 

リンクビーは、自分の可能性や特性を見極めることができる最高な場所であり、それをバックアップしてくれる素晴らしい職員の方たちがいます。どうか自分を偽らず、ありのままの姿で過ごしてほしいと思います。そして、働くことだけに固執せず、「自分らしい生き方」を、このリンクビーを通して見つけていって下さい。最後に、これまでお世話になった職員や利用者の皆さん、今日まで至らない自分をサポートして頂き、本当にありがとうございました。



このエントリーをはてなブックマークに追加

1.通所するまで

「自分が発達障害であるかも」と言う自覚は20代から有りましたが(大学の一般教養の心理学の授業からその知識はあった)、本格的に診断を受けたのは発達障害、特にADHDの不注意性と衝動性によって社会生活での困難が増してきたことと、保険が効くADHDの治療薬が発明されたからです。

診断を受けるための病院を探す過程で「支援事業所」の存在を知り、体験通所をしました。それから他2施設に相談に行きましたが、1施設は「待機時間が長いこと」、もう1施設は体験通所がなかったことから、また、プログラムの内容が実践的でバラエティに富み、運営母体が人材紹介業でもあることからリンクビーに決めました。

 

2.通所開始~就職活動開始直前

まずは思考力、社会性を身につけるためのメモ研修などの「短時間研修」、就職に関することやストレスマネジメントに関する内容を行う「長時間研修」、13週間で個人やグループで行う「職業トレーニング」を通じて、職員の方に「自分の特性」を知って頂く期間を設けました。

どの障害でもカテゴリー分けされた中で個々に特性とその対処、お願いすべき配慮は異なります。この期間は就職活動を行うに当たり「障害をオープンにして障害者雇用」か「障害を隠して一般雇用」にするのかを見極めるための時間としてかなり有効だったと思います。また、プログラムを通じて改めて障害特性と向き合うことで「障害者として就職する」道を選ぶことができました。

 

3.就職活動開始

基本的な書類作成(これまでとは別の職種を志望したため大幅な修正があった)の他に、「障害者雇用」向けに「これまでの退職理由の整理」と「特性の振り返り」をまず行いました。自分の「困ってきたこと」と改めて向き合うのは通所期間で一番辛い作業でしたが、上手く教導していただけました。

面接は主に「合同面接会」と「実習面談会」の2種、特に「実習面談会」では職員同席のもとで行いますので、ここで頂けた面接についてのフィードバックがとても役に立ちました。

また、ゼネラルパートナーズの紹介者向け就職サイト「atGP」(https://www.atgp.jp/)にも登録し、活動を進めてきました。こちらで頂いたアドバイスも就職する上で大変参考になりました。頂いたアドバイスで一番効いたのが「面接だけで合否を決定しようとしている企業に対しての『実習の提案』」をし、実際の仕事を体験する事です。これにより、就職先から高い評価を頂いた事や、自分でも就職先の環境や働き方を事前に知ることで安心できました。

 

 

■おわりに

今思うと通所していた期間は「障害者であることを受け入れていく過程」でした。発達障害は他の障害の方に比べて「後天的に発見」、特に「社会生活が始まってから発見」 される事が多く、それは自我が確立してからのためほとんどの人に「障害特性を受け入れる訓練」が必要になります。また、発達障害をもっていてもなんとか社会生活をおくれたり、特性を生かして社会で成功者になることすらあるため、「障害者として生きる」ために意識を変えていく必要がある人が多くいます。

「社会で生き辛く」なり「積極的に周りの方に特性を理解して頂く」必要が生じた時、自らが障害を受容し、整理できていないと周りの方々にお願いすることはできません。私が「障害者であることを受け入れ」、「障害特性理解し、配慮項目を文章化する」ことは自分一人ではとても困難なことであったと今は思います。いま社会復帰できるのも通所していた賜物です。

 

最後に、事業所の皆様。

真摯なお声がけと叱咤、的確なアドバイスを頂けたと感じています。

ありがとうございました。

このエントリーをはてなブックマークに追加

リンクビー秋葉原に通所してからおよそ6カ月、とても内容が濃い日々でした。この度、就職が決まり、「卒業」することになりました。

 

~リンクビーに出会う前~

 

前職では、簡単なミスを何度もしてしまう、仕事が覚えられない、上司が言っている内容が理解出来ない、といったことが続き、叱責を受けてしまったことから、うつ病になり、退職になりました。その頃、ネット検索でリンクビーを知り、発達障害専門だったので、見学してみようと思いました。

 

他の就労移行支援事業所にも行ってみましたが、リンクビーの方が感覚的に自分にあっていると思い通所を決意しました。プログラムの内容的にも、資料を作成して発表するという研修が多く、自分の課題に合っていると思いました。リンクビーに入所して、まずは安定通所から始めました。

 

~リンクビーに通って~

 

リンクビーに通って、人前での発表がとても苦手でしたがある程度は発表出来るようになりました。色々な職業トレーニングをこなして上司への報連相がより出来るようになりました。また、自己理解の大切さを学びました。休憩を取ることの大切さや、ストレスと上手く付き合う事も学びました。ストレスマネジメントは、仕事に就いてからも使えるものだと思います。一生使えるような手法や考え方を、学べたような気がします。

 

一番大きかったことは、同じような仲間たちと出会えたこと。自分だけじゃなかったと思えたことです。グループワークのリーダーをやったことも、今ではいい思い出です。

 

就職活動では、2カ所の実習に行きました。実習での体験が、一般に近い職場で働きたいと思うきっかけになりました。事務職の経験がなかったので、実習で経験し、事務職の雰囲気を学べたことは、大変役に立ちました。

 

リンクビーでの半年間、会社勤めという環境から一歩外に出て、色々な体験ができたことは、自分にとってプラスになったと思います。atGPのキャリアカウンセラーの方とのやり取りも、自己理解を深めるうえで、とても良かったと思います。そこをしっかり取り組めたお蔭で、面接がすんなり通ってしまいました。

 

~これまでとこれから~

 

リンクビーに入ったときの思いは、「今の自分を変えたい!」でした。これからどうしたいかですが、職場で上手くやっていけるようになりたい。安定して働ける環境で、長く働いていきたいです。

 

リンクビーに通所している皆さん、これから通所する皆さん、ひとつひとつのプログラムに前向きに取り組むことが大切だと思います。自分の力を少しずつ上げていってください。焦らなくても、だいじょうぶです。OGOB会で、またお会いしましょう。

 

ありがとうございました。

 

 

このエントリーをはてなブックマークに追加

利用者様による「得意分野の講義・発表会」

リンクビー秋葉原の田中です。本日は、土曜日開所時に行われる、利用者様による得意分野の講義・発表会の様子をお伝え致します。リンクビーでは一月に2回程度、土曜日も開所しています。土曜日のカリキュラムは一人ひとりがご自身のペースで思い思いに活動できるように、お菓子や飲み物を準備してアットホームな雰囲気で行っています。
先週の土曜日開所では、午後から通所者様による、中国語講義と有名お菓子メーカーのお菓子を熱く語るプレゼンがありました。中国語講義は、職員も含めて、ほぼすべての方が参加し、みんなで発音練習を行ったりと、一体感のある講義となりました。後半のお菓子のプレゼンは、「初めてそのお菓子を食べたときのことが忘れられない」等、利用者様のお菓子に対するとても熱い想いが言葉の節々から感じられ、とてもおもしろかったです。今後も、土曜日開所の際は、利用者様の得意分野の講義・発表会が続きます!定期的にその内容をご報告していきたいと思います。


このエントリーをはてなブックマークに追加

【通所する前】

社会に出て、事務職として正社員で働いた際、突発音や打発音に対して私だけひどく辛く耐えられないといった反応があったり、環境の変化についていけず過眠症の症状が出たりしました。

離職後、派遣社員やアルバイトなど、転々と職を変え働いていました。

派遣のお仕事で、話し言葉での研修があった際、私だけが理解ができず、4日で辞めてしまったことがありました。

その他、納期に間に合わず叱責された、言葉の理解がそのままの意味でしか理解できないことがあり叱責された、遅刻ぎりぎりで出勤していたなどがありました。

また、衝動的にカフェオーナーになりたいと思い、カフェスクールに通いましたがマルチタスクが苦手なため、飲食業は不向きと思い知りました。

それらの事から精神科を受診したところ、発達障害と診断されました。

 

今後まだ長い人生を生きていくために、長く安定して働きたいと思い、障害者としてオープンで働くことを考え始めました。

いくつかの障害者就労支援サービスやハローワークを利用して個人で就職活動をしていましたが、すべて書類審査で落ちてしまいました。

いずれの施設も、応募書類は良くできていると、お墨付きをいただいていた結果でした。

そんな中、『就労支援移行施設の合同説明会』が開催されることを知り、参加してみました。

ハローワークや就労支援施設で参加した旨伝えると、「移行支援施設を利用している人を対象とした求人が多いのが実情」と聞き、通所を考えました。

 

実際に通える範囲の施設をいくつか見学をした中、リンクビー秋葉原だけは

●きちんと見学をさせてもらえた

●通所している方々がフランクで明るく優しく話しかけてくれた

●職員の方が就職や生活についてなど親身に応対してくれた

また、見学をしたのが2月だったのですが、通所されている方が少ない状態について職員の方にたずねると、「就職が次々と決まったので、今通っている方は少ないんです。多いときもありますが、就職が決まるので、定員に満たないこともあります。」とのことでした。

通所に片道1時間30分かかりますが、"一番就職につながりやすそう""雰囲気が良い"ことからまずは体験通所をし、結果、本通所となりました。

 

【通所から内定をいただくまで】

発達障害者は、コミュニケーションを取ることが苦手といわれていることからだと思いますが、プログラムにはグループワークを行うものがたくさんありました。

その中でとても印象的だったのは、人と話すことに対してとても緊張していた方が、通所をしていくうちに表情も明るくなり、ある程度話せるようになったことです。

その他、年齢も個々の特性もさまざまな人たちとプログラムに取り組むことで、得意不得意の部分でお互いを補い合うことなど、とても良い経験をすることができたと思います。

また、フィードバックをする際、"否定をしない"といった決まりごとがあり、個々の良い部分を伝えることによってそれぞれが自信につながり、自己肯定感を高めることになったと思います。

"マイナスな事をプラスな事に言い換える"といった内容がプログラムにありましたが、その事は応募書類や面接に限らず、コミュニケーションのとり方にも役立つと思いました。

本通所開始から3ヶ月目で応募書類を数社に送ったところ、早々に2社から面接の連絡をいただき、最初に面接を受けた会社から2次面接の連絡、そしてあれよあれよという間に、その会社から内定をいただきました。

 

【終わりに...】

直近の仕事から1年以上のブランクができてしまい、働くことの勘が鈍っていましたが、安定して通所をし、プログラムを受けていくことで勘を取り戻すことができました。

職場の疑似体験ができたこと、自分のこと、発達障害の特性のことなどを学ぶ機会を得たこと、そして就職活動のサポートをいただけたことにより、無事内定をいただくことができました。

職員の皆様、通所をされている皆様、大変お世話になりました。

ありがとうございます。

OBOG会で、お会いできることを楽しみにしています!




このエントリーをはてなブックマークに追加

リンクビー秋葉原小牧です。

本日は、伝統工芸の世界で障がいのある方が技術を磨いている本記事を共有致します。京都市北区にある障がい者施設「西陣工房」では発達障がい、知的障がいのある方が西陣織に使う、糸を枠に巻き取る「糸操り」という工程を担っていて、今では西陣織最大規模の糸操り工場になっています。「同じことを繰り返す作業」が得意という障がいの強みを活かして、皆さんそれぞれに活躍されているとのことです。現状の障がい者雇用枠は事務職が大半であり、発達障がいの特性によっては、事務職が苦手でなかなか就労が難しいという方もいらっしゃいます。そのような方が活躍できる1つの選択肢として、このような職場が広がると良いと思いました。

このエントリーをはてなブックマークに追加

リンクビーに通う前は、人見知りで、人と話すことが苦手でした。仕事については、どうして自分は仕事ができないのだろうかと、クヨクヨ悩んでいる自分がいました。

 

病院のデイケアの紹介で、リンクビーを知りました。

見学から体験通所に進み、事業所の雰囲気が良かったこと、他の利用者さんが親切に声を掛けてくれたこと、自宅から通える範囲内だったことから、通所を決めました。

 

通所したての頃は、体調面も含めて、一生懸命に頑張ろうとし過ぎる傾向があり、無理をしていました。通所して4ヵ月目に、突然腹部に痛みが起こり、病気になり倒れてしまいました。手術をし、一週間で退院し、三週間後にリンクビーに復帰、半日×週三日の通所から始めて徐々に通所を増やし、フル通所に戻るまで4ヵ月かかりました。

 

この4ヵ月間、就職が遠のいたことで焦りもありましたが、無理をしてはいけないのだと学びました。ありのままの自分で、自分のペースで行こうと、思いました。

 

その後、リンクビーの職業トレーニングでは、グループワークのリーダーに立候補。病気で倒れる直前にもリーダー役をやっていたので、自分に負担がかからないように工夫をしながらリーダーをこなしました。無事にリーダーをやりとげ、高評価もいただき、以前の自分を乗り越えることができました。

 

就職活動は、企業実習に行ったのが4社、面接は10社前後受けました。病気の前は、就活も焦りながらやっていましたが、病気の後は、職員をつかまえての模擬面接など事前対策をしっかりと行うことで、焦らずに面接にも臨めるようになりました。

 

就職が決まった企業様は、一人一人に合わせた対応をしてくださるところに、惹かれました。実習前の面談の段階から、ここでお世話になりたいという気持がありました。無理をしないように、頑張って行きたいと思います。

 

自分の力の及ばないことは焦っても仕方がないので、自分は自分のできることに集中する、ということを、これからも忘れないようにしたいと思います。

 

私は病気で倒れたことで、120%ではなく80%の力で頑張ることを学びました。皆さんも、無理をせず、自分のペースで、体調に気をつけて頑張ってください。安定通所に始まり、安定通所に終わる、ということを私も実感しました。

 

大変お世話になりました。ありがとうございました。

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
リンクビー秋葉原 職員の森です。

本を読みました。『「べてるの家」から吹く風』向谷地生良著(2018年6月1日発行、いのちのことば社)です。2006年に発行された同書の、増補改訂版の発行です。

統合失調症を抱えた一人一人の登場人物が、そしてそこに向き合う著者の姿が、心に深く静かな衝撃を与えます。心に残った、いくつかの「言葉」がありました。

<人の絶望は、人間として尊重された出会いのなかでは、希望と回復への入り口となる>

絶望的な"爆発"を繰り返す当事者の父親から、「つかれ果てました」と著者に電話が入る。著者はこう答える――
<・・・・・・彼にとって本当に必要だったのは、"立ち直ること"や"回復"ではなく、悩み、絶望しきることなのです。・・・・・・彼は、着実に自分の絶望を自分のものにしつつあるのです。本当にいい苦労がはじまっています。・・・・・・彼に希望を感じましたよ>
<苦労を取り戻す>、これは「べてるの家」のキャッチフレーズのひとつだ。

わたしたちリンクビーではどうだろうか。一見すると社会に適合できている"優等生"のまま、卒業させてはいないだろうか。悩みや苦労を自分に取り戻し、しっかりと向き合い、絶望できること。それを可能とする"場所"であること。本人が絶望するほど希望を感じると、言える強さと優しさが、わたしたちにあるだろうか。

また、「べてるの家」では、1983年に始まった日高昆布の産地直送以来、「起業」に力を入れている。起業の際に忘れてはならないのが、「苦労の先取り」作業だと著者は書く。しかし、それは仔細なビジネスプランや事前対策という意味合いではなく、「それで順調!」という「楽観」だという。

<この楽観は、仲間と場を信じる態度から生まれる。しかし、信じるということで大切なのは、根拠や実感を求めないことである。いいかげんでよい。ヤケクソでもよい。「そんなの信じられない」というあいまいさと不安があるままでもよい。とにかく「信じるが勝ち」なのである>

自己病名「人間アレルギー症候群」の女性四人が起業した会社は、<自分たちの強みは、矛盾をかかえながら生きてきたこと>というメンバーの言葉から「むじゅん社」と命名された。

<当事者は、みじめな存在である前に、尊重されなければいけない有用な存在なのである。地域は、障害を体験した市民の経験を通じて、地域社会を変革していくことができる。その思いが、常に起業のエネルギーとなってさまざまな事業を起こすバネとなってきた>

<「べてるの家」の歩みは、地域の過疎化と精神障害という病をもつ困難という二重の苦労のなかに育てられてきたことに意味がある>

「べてるの家」から吹く風は、単に精神障害の一施設の物語ではなく、地域の在り方を問い、福祉や医療の世界の「たてまえ社会」を問い、人間の生き死にを問う、それでいて軽やかな笑いに包まれた、摩訶不思議な風なのであった。
このエントリーをはてなブックマークに追加